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【本】ネイティブアメリカンの教え①〜存在と行動のバランス〜

先日、夫が「お勧め」ということで、一冊の本をプレゼントしてくれました。

Walking on the Wind ~Cherokee Teachings for Harmony and Balance~
(Michael Garret著)という、チェロキー族(ネイティブアメリカン)の教えについての本です。

前から時々、ネイティブアメリカンにはたくさんの智慧に溢れた教えがあることを教えてくれていたので、私も関心がありました。

この本では、太陽と月の恋物語に始まり、たくさんの小話があるのですが、どれも面白い!少しずつ読み進めています。

その中で、「これ、私もちょっと前までそうだったな〜(偏ってたな)」と思った箇所がありました。いい学びだったので、こちらでもご紹介したいと思います。

Chapter 8の “Being and Doing”。
“存在すること” と “行動すること” のバランスが大事だと説いています。

アライグマの物語

この教えにまつわる物語です。

グレートスモーキー山脈は、美しく暖かい夏の日だった。太陽爺さん(Grandfather Sun)は、母なる地球のすべての生き物が楽しめるように、黄金の温もりを大地に優しく注いだ。

空気は清々しく、神聖な踊りで生き生きとしており、あらゆるものにスムーズに生命を吹き込んでいた。 すべての葉は青く若々しく、川や小川には冷たくて新鮮な山の水が自由に流れていた。

一匹のアライグマは、小川の冷たい水を飲みながら、この世界の美しさに味わっていた。

花から花、葉から葉、岩から岩、そしてまた花に戻り、母なる地球の膨大な富のすべてを探索するのを楽しんだ。また野生のブラックベリーのような美味しいものを見つけると、食べて、その上ポーチにも入れておいた。後で友達と分け合えるように。

アライグマは、母なる地球が提供してくれるものをもらうばかりではなく、その恵みに感謝し、お返しにひとつまみのタバコなどを捧げていた。

アライグマは、昔おばあちゃんが教えてくれた古い歌を歌いながら、川へと歩いて行きました。

太陽や風、大地や木々のように、
アライグマの最も困難な仕事は、ただ存在することです。
雨と空と鳥の飛び方のように、
アライグマの最も難しい仕事は、ただ存在することです。

アライグマは、飛び回る蝶を見つけた。一緒に遊びたくて追いかけたが、蝶は「素敵な花を探すのに忙しいの」と言う。蝶はどこかへ飛び立ってしまった。

動物たちの間では、アライグマは「いつも遊ぶことしか考えてないやつ」という評判が立っていた。

次にアライグマは、丸太を見つけ、それと格闘し始めた。アライグマと丸太の戦いが引き分けとなったとき、先ほどの蝶を再び見つける。興奮してまた追いかけ、ジャンプした時に川の渦にバッシャーンと入ってしまった!

アライグマは、「僕泳げない、誰か助けて!」と騒ぐ。

近くにいたビーバーは、アライグマが泳げることをよく知っていたので、彼を無視した。

他の動物たちと同じように、ビーバーも、アライグマが時々他の動物たちを遊ばせるためにいたずらをするのが好きなことを知っていたし、太陽爺さんが沈む前にやらないといけないことがたくさんあった。

ちょうどそのとき、アライグマはビーバーのダムを繋いでいた丸太の一つにぶつかった。バタバタして溺れているフリをやめた。

「君が作った素晴らしいロッジのおかげで助けられたよ!ありがとう」と、アライグマはビーバーに言った。ビーバーは作業を続けながら、中途半端に頷いた。

「一緒に創造主をお祝いし、感謝しようよ!これは、蜂蜜を飲みに行くに値するいい機会だよ。ミツバチは蜂蜜作りすぎちゃってるし、蜂の巣は一人で寂しいだろうから。そんで飲み終わったら原っぱに行って、二人でダンスしようよ!ま、誰か参加するならそれも大歓迎だけど!」と、アライグマはビーバーにいった。

ビーバーは「あのね、アライグマさん。今はあんたと話してる暇ないんだよ。僕は仕事で忙しいんだ。てかあんた、もうすぐ冬が来るけど、安全に住める場所確保してるの?」とアライグマに言った。

アライグマはビーバーの労働をみて少し困惑しながら、「母なる大地はいつも生きる場所を与えてくれてるよ。僕たちが母なる大地に感謝をし、その美しさを楽しんでいる限りは。」と言った。

「誰か他の遊び相手、見つけてきなよ」と、ビーバーは言った。

数時間後、次第に雨が降ってきた。でもビーバーはダム造りの仕事をやめない。最後まで仕上げると決意したからだ。次第に雨は激しさを増し、雷が非常に大きな音で鳴り響いていた。

とうとう洪水となり、ビーバーはピンチに陥る。「助けてー!!」と叫ぶビーバーの声を聞いたアライグマは、「いま助けにいくよ!」と叫び、ビーバーを丸太から救出した。

「アライグマさん」とビーバーは息を荒げながら言った。「君は私の命を救ってくれた。感謝してるよ。」

アライグマはビーバーに微笑んで、特別な袋から野生のブラックベリーをいくつか取り出して差し出した。 ベリーもずぶ濡れだったが、ビーバーもアライグマも気にしなかった。

それ以来、アライグマとビーバーは親友になり、お互いをブラザーと呼び合っている。 時々、森の奥深くに行くと、美しい色の野生の花々の中で、アライグマとビーバーが友情の踊りを歌い、踊り、鼻についた余分な蜂蜜をなめる音が遠くに聞こえる。

A raccoon’s toughest job is simply to be.
アライグマの一番過酷な仕事は、単純に”存在”することだ。

-Raccoon, Animal Tribe, Philosopher and Connoisseur of fine foods
 アライグマ、動物部族、哲学者、高級食材の愛好家

行動や功績にばかり価値をおかず、存在自体に価値をおくこと

以下、私が「いい!」と思った箇所を、本書より引用します。

Some of us may have even accepted somewhere along the way the idea that we are only as worthwhile as the things we accomplish: the larger the dam, the “better” the person; the more honest work that has been done, the greater the reward, be it security, status, power, wealth, love, or anything else. Still, one simple truth remains: We are not human doings, we are human beings.

私たちの中には、自分が達成したことによってのみ価値があるという考えを、途中のどこかで受け入れたことがあるかもしれません。つまり、ダム(功績)が大きければ大きいほど、その人は「優れている」ということです。 誠実な仕事をすればするほど、安全、地位、権力、富、愛、その他何であれ、報酬は大きくなります。 それでも、単純な真実が 1 つ残っています。それは、私たちは「行為」ではなく、人間で「在る」ということです。

There is an implicit danger in sacrificing one’s being for the sake of doing. Sometimes, doing gives us a reason to avoid being, to avoid our own inner experience.

何かをするために自分の存在を犠牲にすることには、暗黙の危険が伴います。時に、行動することは、存在することを避け、自分自身の内なる経験を避ける理由となる。

How often do strangers, upon meeting, inquire as to the nature of one another’s occupations or means of accomplishment as an indicator of status and relative worth? We think that knowing what someone does for a living helps us to gauge what kind of person someone is.

見知らぬ者同士が出会ったとき、地位や相対的な価値を示す指標として、互いの職業や業績について尋ねることがどれほどあるだろうか。私たちは、その人がどんな仕事をしているのか(doing)を知ることで、その人がどんな人間なのか(being)を測ることができると考えている。

Upon meeting Raccoon, many of us might describe him as lazy and rather irresponsible-we who stake our lives, the very value of our life on this planet on doing.

アライグマに会ったとき、私たちの多くは彼を怠け者でかなり無責任だと評するかもしれません-私たちは自分の命を賭けており、この地球上での人生の価値そのものを行動に費やしています。

There is a very important reason for doing having things to do certainly can add purpose and direction to our lives. Yet having things to do can also take the discovery of meaning away.

やるべきことがあることは、確かに人生に目的と方向性を与えてくれる。しかし、やるべきことがあるということは、意味の発見を奪ってしまうこともある。

Being says, “It’s enough just to be; our purpose in life is to develop the inner self.” Doing meanwhile advocates, “Be active; work hard, apply yourself fully, and your efforts will be rewarded.” Walking in harmony and balance means experiencing both.

Being(存在すること)は、”ただ存在するだけで十分である”という。一方、Doingは、”活動的になりなさい。一生懸命働き、自分をフルに発揮すれば、努力は報われる “と提唱している。調和とバランスを保ちながら歩むということは、その両方を経験するということだ。

私たち現代人って、無意識下で行動や功績に価値を置いてるところがあると思います。

一人ひとりの存在それ自体が、価値があるというのをどこか忘れてしまっている。

自分自身に対して、そして他人に対して、ただ存在することを許す。

それを思い出させてくれたネイティブアメリカンの教えでした。

他にも、生きる上でためになる教えがたくさんありそうなので、またシェアしますね。

ABOUT ME
Chisa
沖縄在住、30代。 現在、アロマオイルトリートメントセラピーを学んでいます。 日々のありがたい事を5つ見つけて、“感謝日記”に綴っています^^